市原市役所周辺の台地は古代の上総国(かずさのくに)の政治、文化の中心地。741(天平13)年、聖武天皇の詔によって全国に造営された国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)は、現在の市役所周辺で遺構が発見されています。その遺物を展示しするのが上総国分尼寺跡の復元建築のビジターセンターにもなっています。
実は古代の上総国は、上野国(かみつけのくに=現・群馬県)、常陸国(ひたちのくに=現・茨城県)とともに親王が国司を務める親王任国。初代の太守(国司)は桓武天皇の第十二皇子・仲野親王(なかのしんのう)だったことからも、奈良の朝廷がいかに上総国を重要視していたかがよくわかります。
展示館では、国分寺・尼寺跡出土の遺物、国分尼寺のジオラマ模型などを展示。
館内では、仏教伝来から、仏教の国教化、聖武天皇の政策、そして国分寺、国分尼寺建設へのプロセスがよくわかり、社会人には社会科の復習できる地として、受験生には古代史の基本を押さえるスポットとして、訪れる価値が大。
また周辺には上総国分尼寺の中門、中門と金堂を結ぶ回廊が復元されています。これは、発掘された遺構の真上に原寸大で、奈良時代の建築技法を駆使して往時のままに再現したもの。
上総国分尼寺の復元模型(直径4.5m)を組み込んだ解説のパートでは、液晶ガラスの瞬間的透過により模型と野外の中門・回廊復元建物を直接比較できるようになっています。
実は古代の上総国は、上野国(かみつけのくに=現・群馬県)、常陸国(ひたちのくに=現・茨城県)とともに親王が国司を務める親王任国。初代の太守(国司)は桓武天皇の第十二皇子・仲野親王(なかのしんのう)だったことからも、奈良の朝廷がいかに上総国を重要視していたかがよくわかります。
初代の太守(国司)は桓武天皇の第十二皇子・仲野親王奈良の朝廷がいかに上総国を重要視していたかがよくわかります。
上野国(かみつけのくに=現・群馬県)、常陸国(ひたちのくに=現・茨城県)とともに親王が国司を務める親王任国。
☎お問い合わせ専用番号:0436-21-7633
住所:千葉県市原市国分寺台中央3-5-2